ここへ来てようやく春らしくなったかと思えば
雨が降るとまだまだ寒いなあ。
「今年の冬は長かった」、といいつつ振り返れば
新潟の冬はだいたいこんなもんじゃないかとも思えてきて。
一昨年の冬、北光社最後の1週間は比較的穏やかで、
閉店となった1月31日も終日暖かかったことを覚えている。
店は修羅場だったけれど。
連日の報道のおかげで、北光社にはそれまで見たこともないほどの
(少なくとも私は)大勢のお客様が訪れ、暖かい声や、壁からはみ出るほどの
たくさんの寄せ書きをいただいた。幸福感に満ちた幕引きは、この北光社が
もうすぐなくなってしまうのだということを、一瞬忘れてしまうような時間だった。
穏やかな1月が明けて早々に、それまでの反動のような大雪が降った。
反動は天候ばかりではない。大団円の閉店(というのも矛盾しているが)
のあとに待っているのは残務処理という現実だった。
夜、人の往来もまばらになる時間に合わせて、店に横付けされた4トントラックは
数台の列を作り、そこに一定のリズムを保ちながら、最後まで売れ残った本を
詰めた何百というダンボールを取次店の人たちとリレーで運び込んだ。
ものすごい吹雪のなかを。
数日前の光景がウソのような、スッカラカンになった店内を見渡したとき、
天候と同様のものすごい振り幅を感じた。「ポッカーン・・・」という感じ。
分かっていたこととはいえ、それはもう圧倒的な現実だった。
雪はその後も勢いを増し、翌日は新潟市で考えればとんでもない量の
積雪となった。閉店の決まった頃はおぼろげだった「自分で本屋をやる」という
選択肢は、この時すでに選択肢ではなくなり、明確にその道を「選択」
していたので、まだまだ一向に片付かない細かな残務処理の合間に、
めぼしい空き物件を探すため、雪に足をとられながら古町中を歩き回った。
平日の真昼間、毎日忙しくしている友人が、仕事を休んでだまって私に
付き合ってくれた。
予想以上に古町は、自分にはどうしても敷居が高く、商売としては未知数の
この場所に行きついた。始めてみないことには全くわからないのは当然だが
それでもこれまでの経験が自分の背中を押してくれるだろうと思っていた。
しかしそれから始まった具体的な準備のための時間は、そのわずかばかりの
自信をあっさりと打ち消していった。閉店直後に感じた振り幅は、めぼしい物件が
決まったというだけのこの時点では、まだほんの序の口に過ぎなかったのだ。
自信だなんだと言う以前に、なんともマヌケな自分。使用できそうな本棚を
物色するため、夜中の北光社に許可を取って忍び込んだはいいが、セキュ
リティーの都合上、一箇所に指定されている出口が、什器物色中の数時間で
すっかり雪に覆われてしまい、警備会社に連絡を入れて、別の出口から外に
廻って雪かきしてから、へとへとになって帰る、なんてこともあった。そこで疲れて
どうする。おまけに完全に不審者だ。
そんな失態を連発するにつけ、冬の空模様も手伝って不安度は最高潮に達した。
その失態の数々は、さすがに気が滅入るので書かない(長いし)。ただ、落ちたら
あとは上がるだけとはよく言ったもので、なんとか開店にこぎつけられそうだという
実感も、少しずつ自覚できるようになったある日、北光社からのお客様である
老夫婦が、うわさを聞きつけて作業中の私の様子を覗きに来てくれた。
2ヶ月ほどの時間が、何年分にも感じられたあの瞬間、私にむかって
その老夫婦は「ありがとう」と言った。
それはこっちの台詞なのに。
開店予定日が1週間後に迫った頃、注文した本が次々と入荷してきた。
といっても自分の資金力で仕入れられる量はたかが知れている。それでも
最初に注文するのだからその本たちは自分にとっては特別なものだ。
もうだいぶ以前にある冊子に書いたのだが、もう一度書けば、最初の
一箱目の梱包を解いたとき、その「なじみの顔たち」は私に向かってこう言った。
「しかし懲りないヤツだね君は」。
自分でイチからつくった、古びた北光社の棚板を使用した真新しい店内に
ひたすら本を並べ続けて、2年前の4月12日、ひとまず開店した「北書店」。
最初の1ヵ月くらいの記憶は断片的なもので、所々見事に抜け落ちている。
初めて来店くださった旧知のお客様に、「ようこそいらっしゃいました」と言うと、
「開店したばっかりのときに来たじゃないの」と言われることがときどきある。
ただ、北光社閉店から北書店開店までの2ヶ月半の間に味わった寂しさやら
不安といった感情が消えていったことは覚えている。反動だ。
「儲かってるか?」と聞かれたら、思いっきり首を横に振る。
「いまどき本屋をやるなんて無理じゃない?」と言われたらどうだろう。
というかよく言われる。ともあれ2年間はなんとか無事に(?)過ぎた。
先のことはよく分からないというのが正直なところではあるけれど。
正直ついでに書くと、1年前の今頃も、このブログで少し振り返ってみようと
思っていた。それでも書かなかったのはなぜかというと、やはり当時の出来事が
まだ自分の中に生々しく存在していたからなのかも知れない。ウソ。わからない。
さらに1年があっという間に過ぎた今、その感情の置き所というものも
変わってきている。あたりまえの話だ。特にこの季節はいろんな変化がある。
昨年、ふとしたことから始まった一箱古本市開催にむけて、一緒にイベントに関わった
仲間がこの春転勤で新潟を離れた。
場所柄、常連になってくださり、尋常ではない蔵書をお持ちの本好きな
市役所のおじさんも、ちょっと出てくるには遠い街へ異動になった。
毎月雑誌を買いにこられる、お医者様であろう方(よくよく考えたらそういう話をしなかった)が、
仕事をやめ、福島にいる家族と暮すことに決めたという。
再会を誓うとはいえ、彼らとはこれから先、そうそうすぐには会うことができない。
せっかく知り合えて、お客様になってくれた人たちとの別れというのはやはり寂しいものだ。
最後だからかもしれないけれど「ここに この本屋が出来てよかった」と言われれば
やはり感情が動く。遠くに行ってしまうのなら、せめてブログくらいまめに更新しなくては
という気持ちにもなる。そんなことをなんとなく思いながら、今日この日記を書いた。
素直に実感できる言葉というものがあるとするならば、そういった日々のやり取りから
得る感情の中にしかない。つまりは何かといえば「ありがとう」ということだ。
・・・2ヶ月ぶりに更新したと思ったら、なんだか終始暗いトーンですいませんでした。
だらだらと書いてしまいましたが結局のところ、それしか言葉がありません。
もう少し有益な情報をすばやく提供しなくてはいけないのでしょうが、多分これからも
こんな調子です。ともかくも、多くの皆様のおかげで何とか2年が経ち、今日この
北書店は3年目を迎えます。
ここで冒頭のタイトルに強引に結び付けてしまいます。
強引なんだけど妙に実感のこもった言葉なのです。1月に北書店へ来てくださった
谷川俊太郎さんの本からいただきました。フェア用に仕入れた本をパラパラとめくっていて
すっかりはまっちゃった。ちくま文庫の「詩めくり」。うるう年を含んだ1年366日分の、
ご本人曰く、季節感もなければ、名言、教訓のたぐいもないという詩のひとつひとつが
時々とてもグッと来る。そのなかから、本日、北書店の誕生日4月12日の詩で
この長いブログを締めちゃおう。
四月十二日
ホッチキスでとめよう
パチリパチリ
何かの紙 何でもない紙
恨む紙 笑う紙 涎たらす紙 唯一の紙
風に飛ばないように
ホッチキスでとめよう
気分でてる。最高。
谷川さん、ありがとう。
ついでに谷川さんの誕生日の詩もご紹介。
十二月十五日
僕はこの日に出現したとされていると
戸籍課の依田さんは言います
ありがとう依田さん
おめでとう僕
誰か何かくれ
うん、これもいい(笑)
それでは皆様、3年目の北書店もよろしくお願いいたします。
北書店 佐藤雄一